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笛を吹かないレフェリー?

直前のコラムでイギリスのことに触れたので、今回はイギリス(England)の少年サッカーのこと。

我々のチームは、サッカーの世界ではもっとも底辺をささえるチームの一つ(こういうチームを”草の根”grass-rootsのチームと呼びます)なので、私の思考方法も、いつも底辺から考えるようになっています。

2008年に思い立ってEnglandの少年チームを見に行こうと思い、受け入れてくれるチームを探しました。日本協会や静岡県協会の指導者や選抜チームが行くチームは、プレミアの下部組織がほとんどですから、われわれとは比較しても意味がない。かといって、grass-rootsのチームをサッカー協会が把握しているはずがないし、紹介できるはずがない。

で、探したのはネット。ロンドン周辺に何チームか見つけメールすると、ロンドンから電車で30分くらいのところのチームの指導者であるWayneさんから、いつでもどうぞ、と返事が来たので行くことにしました。土曜日に練習、日曜日にリーグ戦の日程なので、1回みただけではわからないから、2週間いることにしました。

要するに、Englandの一般的サッカークラブチームは、週に練習1日、試合1日、それも土曜日午前練習、日曜午前に1試合だけ試合をするのです。(よって、ベンチ椅子やテントは必要ないので持ってこない。)

行ってみて、そうなんだとびっくりすることや、やっぱりねとうなずくことなどたくさんありましたが、書き出すときりがないので、今回は試合の審判(レフェリー)の話。

この試合の写真は、前の<子どもたちを優先しているか?>の一番下にあります。
イギリスの冬としては、信じられないよい日でした。

試合はWayneのチームから見て、アウェイ。レフェリーはホームチーム(相手チーム)サイドが資格のあるレフェリーを依頼しておくのが、リーグのルール(副審は、対戦チームからひとりずつ出す)。ところが、依頼したはずの審判が来ない。相手チーム監督が、こまってWayneのところに来て話す。その人も審判資格がない。で、審判資格のあるWayneに、あんた、悪いけどやってくんない?っていうことになったと思う。Wayneは、しょうがないからオッケーする、審判着ないけどいい?オッケー。さて、笛(ホイッスル)は?バッグにあったはずだけど。。ない、ない。あったはずなのに。。(練習でも彼は笛を使わない)まわりの誰も持ってない。

で、笛なしで試合が始まった。誰も、変だ、とは思わない様子。当然のごとくたんたんと始まった。選手も観客(周りで立ってる保護者)も、普通にしてる。
Wayneは、ジェスチャーを使ったり、ときどき「Out of the ball」とか、「Off side」とか言う、あるいは叫ぶ。指笛を吹く。ジャッジが聞こえなくてプレーが続くと、見ている観客や控えの選手が叫んで止める、中には、ピッチに入ってとめる人もいる。

私はおかしくておかしくて、試合中に日本にいる友達の指導者に国際電話をかけたくらい。

念のため書いておきますが、この試合はれっきとした公式戦(リーグ戦)です。しかも、試合中にだれかが笛をどっかから(一人ぐらいは家に笛はあるだろうに)探してくるそぶりもない。前半が終わり、当然のごとく後半がはじまり、当然のごとく試合が終わった。

競技規則的に言って、これは規則違反?
だれか、教えてください。

ただ、私からみると、両チームが合意してるんだから、これはアリだと思う。
試合(楽しみ)があくまで優先され、そのことが選手、指導者、保護者の常識になっている。
公正に試合(楽しいこと)さえ成立すれば、あとのことはとやかく言わない。
多分、そんなところだとおもう。
いいかげん、てきとう、なのではなくて、本質的。。。

まあ、日本では絶対にありえないことですけど。。

「こどもたちを優先」しているか?

このサイトをリニューアルするのは、5年ぶり位です、申し訳ありません。
コラムの書き込みも、それ以来です。
最後のコラムを書いたのは、ジーコがまだ代表監督だった時ですから、2006年以前ということになります。コラムで触れたマラドーナは今年2010の南アフリカワールドカップで監督として「マフィアのドンのような」(うちの愛妻の発言)存在感をみせていました。サッカーは、ますますスピードアップ、パワーアップ、技術アップし、もし日韓大会のビデオと今大会のビデオを見比べる機会があれば、その進化は歴然だと思います。

私自身にも、身辺を含めいろいろな変化がありましたが、サッカーに関して言えば、<サッカーというスポーツ>について考えていたのが、<サッカーを通して>いろいろなことについて考える、ようにスタンスが変わってきています。

<サッカーをとおして>ですから、いろいろなことに考えがおよぶのですが、具体的に一例をあげれば、<子どもにコーチする、教える>ことについて考えることから、<子どもにどんな環境を与えられるか?>というようなことに視野が広がっています。トレーニングやチーム作りについて考えるのは、今まで通りですが、我々スタッフや、我々のコーチングも、<子どもたちの環境>の一部にすぎない。チーム運営をするのなら、もっと広い視野が必要だ、というふうに考えが変わってきた(遅ればせながら)ということです。

「環境」と一口でいっても、いろいろなことが含まれますが、チームとしては活動拠点(練習グランド)は「環境」の大きな一要素です。

現在、2つの小学校のグランドを借用させていただいていますが、貸していただくためには、それなりの苦労があったのは過去の保護者の方だけでなく、現在の保護者の方の何人かもご存じのことと思います。一時期は、練習グランドが確保できないこともありました。

グランド借用やその他こまごましたことに関して、何人かの責任ある人たちの対応や話しを聞いていて、思い出すのは次に紹介する一枚の写真です。
この写真は2008年冬に少年サッカーチーム視察のためイングランドに行った際、ある<ユースセンター>の入り口に貼ってあった掲示の写真です。
このセンターは、イギリスの中ならどこの町にでもあるようなセンターで、敷地は小さな小学校くらいですが建物は平屋で、立派ではないがとりあえず芝のグランドが併設してある施設です。活動としては、スポーツだけでなく文化的活動もしているようです。静岡市の公共体育館、公民館に比べれば、はるかに貧弱な施設に見えました。(一か所しかみていないので、イギリスの同様な施設すべてについていえるかどうかはわかりませんが。)

ただ、この掲示の内容には、ショックを受けました。

“putting young people first”

(「若者をまず最初にしよう。」)

もちろん、若者にむけたセンターですから、若者を優先(put first)するのは当たり前でしょう。また、イギリスだけでなくヨーロッパ、アメリカでは小、中、高等学校では授業が終われば子どもたちは家にすぐ帰されますから、休日や、学校終了後の施設が必要とされるのは当然です。
しかしながら、子どもに与える<環境>についてのこれだけはっきりした主張を聞く、見ることは、今までの私の経験の中で多分なかっただろう、と思います。単なるきれいごとかもしれません。だとしても、インパクトがありました。

2013年にわれわれはイングランド遠征を予定しています。サッカーの試合も楽しみですが、ほかにもいろんな人に会い、いろんなものを経験するいい機会だと思います。

この写真の下の影はダレ?)

なぜ「まちかど」なのか?〜チーム名の由来(その2)

ずいぶん間があきましたが、「まちかど」というチーム名の由来の続きです。

実を言うと、私はいつ、どこでメキシコの少年のストリートサッカーを見たのか、特定できないのです。ワールドカップの試合の合間であることは確かなのですが、どこだったかは今、わからない。というより、メキシコ中どこでもやってそうなので、特定する気持ちがないのです。

試合の合間がひまなので、観光でもということで、一番安いツアーバスにのってメキシコシティー郊外にでかけました。ピラミッドの遺跡、郊外の町の市場、古い銀山ときて、帰り道に、そんなに大きくない町の立派な教会(大きいカテドラルでした)の前に止まりました。ツアーの連中(日本人はわれわれ2人だけ)はその大聖堂見学に行ったと思います。

大聖堂の前は、石畳がひろがり、当然左右にも石畳があります。ちょうど静岡市役所(葵区役所?)の周りを広くした感じ、といったらいいでしょうか。大聖堂の右側の石畳を見ると、やってたんです、その石畳の上でサッカーを。私たちは、教会にはいらず、サッカーをやってるほうへ歩く。時間は多分午後4時ごろ。

やってた連中は、小学生高学年から中学生ぐらい、全員私服、ボールは1ヶ、ゴールは脱いだシャツ(合計4枚)。現在もメキシコといえば、ショートパスでつなぐサッカーですが、当時も同じ。そのナショナルチームそっくりのサッカーを14〜5人でやってる。何人かのヘアースタイルはその当時のメキシコのストライカーであったサンチェスという選手そっくり。保護者、コーチなんかいないです。観客は2人の日本人だけ。そのくせ、技術程度は多分「静岡市選抜」より上。

私たち2人が見ていると、めずらしいのか寄ってきて、私たちがはいていたアディダス(プーマだったかも?)のシューズを指さして、何か言ってる。見ると、彼らの靴は普通のズック靴やノーブランドのスポーツシューズ(現在はもう違うと思うけど。)その内、いっしょにやろう、とさそってるのがわかる。年齢が高校1年の教え子は童顔でそんなに大きくないので、彼らの年齢ぐらいに見える。

で、ゲームに入れてもらった(私はいれてくれない。)そうしたら、教え子がよせばいいのに、はいった途端一番うまい選手の「また」をぬいちゃった。アア〜。。
それ以降、「メキシコ伝統」の華麗なショートパスサッカーは崩壊、全員が相手のマタヌキをねらう。。。。

こんな経験から「まちかど」というチーム名が浮かんできました。なんでそんな(貧弱な)名前なの?と思う方も、当然いらっしゃると思うので、説明メモ程度ですが、書いておきます。

なぜ「まちかど」なのか?〜チーム名の由来〜

スポーツ界最大のイベントであるワールドカップに出場することは、サッカー選手なら誰でも夢見ていることですが、我々指導者もこの4年ごとの大会を心待ちにしています。

わたし(原です。)がはじめて現地でみたワールドカップは、1986年メキシコ大会でした。(メキシコでは2回開催されているので第2回のメキシコ大会です。)

お金を工面して(今ではもうムリですが。。)、高校1年生年齢の教え子Sくん(この子は難病のため高校進学ができなかったので、元気になったごほうびに親御さんが行かせてくれたのです)といっしょに、確かサンフランシスコ経由で丸一日がかりでメキシコシティーまで飛行機で飛びました。

この大会は、後々「マラドーナの大会」と言われたぐらい、アルゼンチンのマラドーナが活躍した大会で、優勝国もアルゼンチンでした。

わたしは大変幸運で、マラドーナの例の「神の手ゴール」(手で入れたヤツ)と「5人抜きゴール」があったアルゼンチンvsイングランド戦をアズテカで見れたし、スーパースター・ジーコと同じく当時のスーパースター・プラティニが対戦したブラジルvsフランス戦もグアダハラまで行って見ることができました。

ジーコが試合中PKをはずしたとき、大観衆のどよめきとともに2階席からザーッとふってきたビールやコーラの洪水、目の前で軽くインサイドキックでゴールを決め、コーナー付近のわれわれに手を振ったプラティニ、その場ではハンドだとわからなかったマラドーナのゴール、眼下を60メートル駆け抜けてゴールを決めた天才マラドーナ。。。

と、ここまで書いてくると、酔っ払うといつも同じ話になるどっかのオヤジの自慢話と同じですが、実を言うとわたしが衝撃を受けたのはワールドカップの試合もそうでしたが、むしろそれ以上にメキシコにいる間にたまたま見ることのできたメキシコの少年たちのストリートサッカーでした。

「まちかど」FCというクラブのチーム名は、そのときの経験から生まれた名称です。(続く、です。)